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例えば誰かが言う。

私は、誰かが放つ感情、エネルギーを人よりも敏感に心と身体に吸収してしまうみたい。良くも悪くも、影響を受けてしまいがち。だから、自分で発散する方法を見つけないといけないと思う。

僕は思う。

大柄な黒い熊が、怪力で太い木を引っこ抜いて、樹皮のギザギザをタワシに、背中のかゆいところにこすりつけるようなことで発散してみるのはどうだろうか。

力技はときに必要でない部分にまで、望まない影響を与えたりするかもしれない。でも、その痛みを無駄なものだと断定する前に、少しだけでも多角的に思考を凝らすことは大切なことのような気がする。

子供はよく体のかゆい部分をかきまくる。気づけば周囲の皮膚の薄皮がめくれ、どうにもやっかいな患部をつくりあげてしまう。

一般的に大人はそのような失敗をしにくいかもしれない。経験が一時的なかゆみを我慢させるからだ。医学的に、また、中長期の精神的に、それが与える影響は定かではないとしても、我慢の分だけ忘れてしまうものは確実に存在する。言うまでもなく、それは、かゆい部分をかきむしる時のたまらない快感だろう。

いつも同じ手段を選択すれば、
いつも同じ結果を生み続けてしまう。

そのパターンになれ親しめば、
だんだんとスパイスの強めの香りを忘れてしまう。

だから僕は、いつもではないにしても、たまには先を読むことをやめて、バカみたいに欲望に身をまかせてみたい。

多くの誰かにとって、社会はいつもかゆくはないか?

そのかゆみにいちいち力で抗えば、まもなく身を滅ぼすに違いない。

なんだか最近、社会は少しかゆすぎやしないか?

我慢ならねえことだってあるんだよ。

ここはひとつ、黒熊のビートに身をまかせて、街路樹のギザギザでかゆみに抗って、忘れがちな人生のスパイスをくらえ。

あの頃の快感。
久々に大きめのかさぶた眺めて。
大きな視野で人生を眺めて。
停滞、不感の人生に感度を取り戻そうぞ。

僕らはあのときも。
大人となったらしい今もこれからも。
どうにも完璧にはなりきれない誰かの子供だ。