個人的に興味のある分野のシンポジウムの動画が公開されていて試聴していたのだけど、本題とは別に、はっと気づかされることがあった。
共生革命家、パーマカルチャーなどの実践で有名なソーヤ海さんが登壇されていたのだけど、日本人のコミュニケーションについてユーモアを含めて話されていた。
日本人の性格はよく言えば穏やかで、欧米のように怒りをあらわにしたり声をあげたりすることはめったにない(全体的には)。まあ悪く言えばいわゆることなかれ主義であり、社会的、政治的な物事への当事者意識は薄いく、よっぽどのことがない限り変化は起こってこない。そこまでの見解は僕と同じなのだけど、そこからが全然違う。
僕はついつい棘のある言い方をしてしまう。怒りが滲み出てしまう。(もちろん内容によるが)
ソーヤ海さんは、考えが違う人、聞きたくない人、現段階で事実認定が違う人に伝えたいなら、その話し方がとても重要だという。
さらに、それができなければこの先どんな活動もうまくいかないと付け加える。
言われてみれば全くその通りだ。
もしかしたら、「僕はそんなことはできている」なんてどこかで思い違いをしていたかもしれない。
それだけにこの言葉には「はっ」とさせられた。
誰かに話しを聴いてほしい、考えてほしいのであれば、その根拠や知識などの説得材料はもちろん必要だろうけど、むしろそれと同じくらい、もしくはそれ以上に大切になってくる要素は、聴いてもらえる態度であり、相手ののことを理解しようとする姿勢であり、分かりやすい言葉選び、棘のない表現選びであることは議論の余地もない。
アラフォーになった今、今更ですが大切ことに気づかされました。うまくできるかわからないけど、ひとまず自分の内側から変わっていこうと思います。
ソーヤ海さん、その界隈貴重な情報発信いただいている皆様、ありがとうございます。