人生の中盤で自意識過剰で偉そうに人を上からしか見れないどうしようもない自分に気付かされ、時間はかかったけど周囲に感謝できる人間になったつもりでいた。社会からの長期離脱の後、学んだことを大切に、丁寧に生きていくことを実践した。社会復帰後はそのかいあって、随分以前より自然に上手くことを運ぶことができている実感もあった。
急激な回復と比例して、気づけば想像しようもなかったほど環境も変化した。綺麗事。そういうものの限界を受け入れ、立場は知らぬうちに、かつてのどうしようもなく身勝手で自分本位の生き方に引き戻され、得意の理由付けでそんな自分の変化を肯定してきた。
新たな障害。
それは意識というリアリティの先っぽにフィルターをかけはじめた。
ここに生きている実感。
そこにあるものを疑い始める。
西洋医学の分類ではパニック障、強迫観念、ときに統合失調。出会うドクターの数だけバリエーション豊かに結論付けられる。
意識のリアリティが薄れて行くほど僕はそいつに抵抗した。強気を貫き立場上の孤独とやらと闘い続けた。そしてついに、自分の弱さを認めた。
壊れてしまう前に弱さを受け入れること。それができたのは言うまでもなく、過去に経験した極度の鬱時代の経験があるからだ。鬱を乗り越え、今こうして新たな課題に直面できているのは、間違いない社会や周囲の仲間のおかげだ。
今こうして、壊れる前に弱さを受け入れるとこができた今、しっかり仲間を頼ろうと思う。頼らず孤独の中で闘い続けることは、僕が強いからでも優れた人間だからでも無い。単に、若い頃の僕と同じ、ただの自信過剰に違いない。それは同時に、他者を上から見ているどうしようななくクズで間抜けなここ最近の僕そのものだろう。
仕事も山積み。
僕は人並み以上に弱い。
社会復帰を果たしたあの頃の、
純粋でオーガニックな心で、
周囲を信じて、頼って、頼られて、
今を丁寧に生きて行こうと思います。
僕の人生は恵まれている。
ありがとう。
よろしく。