前文
4つの勇気と、日本民族代々先祖の平和でフェアな共同体感覚を信じる究極の勇気。この5つの勇気で意識を自身のものにすることができる。全部でひとつ。この世はこの世だ。質量はこの世に完全に保存される前提で考えれば生物としての意識や精神に支障はない。人類は思考する生き物。思考に要するツールは言語(自身のネイティブ)。思考が言語であればここに綴る全ては実態というよりは概念だ。概念は始まりの位置、一本の基準、これは前提だ。前提がもろければのちのち不具合が生じる。また忘れればたちまち自身の意識の位置をみうしなう。そうして現代は途方にくれてしまったに違いない。なにもない場所、概念上のその無の荒野に杭を打て。杭は自身で決めても良いが、おすすめはこの世はこの世、全体でひとつ。その質量は完全に保存される。これが無難ではないかと思うがいかがか。
①最初の勇気。
それはまず政治の話に目を向け、知ろうとする勇気。政治と野球の話はするな?まずその格言を打ち破らねばならぬ。なんでもいい。あり過ぎる程の諸問題の何かから入る。そうなれば内政が見る方角、向う方角、なぜそうなってしまう?まかり通る矛盾に気づかない方が難しい。
②次の勇気。
それは、出くわす矛盾、違和感と向き合うこと。調べる、聴く、解釈する。
③次の勇気。
受け入れる勇気。信じがたい事実、変えねばならない現状、変わらなければならない自分自身。それらを受け入れる。
ここまでこれば時間の問題。社会はいい方向に向う。根本解決の道を探りはじめるからだ。なぜこんなことになってしまったのか。
④一番厳しい最後の勇気。
近代の歴史を直視し、受け入れる。特に2つの大戦の前から戦時中、戦後日本が歩んだ本当の歴史を知らなければならない。歴史認識、史実認定。これを正しく修正せねば何も変わらない。多くの日本人が抵抗を感じるであろう史実データの更新。残念ながらこれを受入れない道はなく、最後は必ず必要になる。そうしなければ真の意味で大戦は終わらない。間違いは間違いと受け入れ、改めて先祖に手を合わさねば、我々の先祖も我々も報われない。次世代はその全てのつけを払うことになる。
日本人が史実と向き合うこと。これで困るのはアメリカはじめとする国々の政府と、その上下に浮遊するグローバル企業であり、互いの国の庶民にしたら当たり前の世界を獲得するだけのこと。
世界は戦後のあらゆる事情から思考停止かつ自虐的になったまま戦争を終えれない日本の目覚めを恐れている。それくらい日本は、日本人は、優れた民族である可能性がかなり高いと見る。性格、思想、何をとっても世界のリーダーに相応しい資質があるからだ。それは史実としっかり向き合えば嫌でも理解できることだ。
いくつかの勇気を乗り超えるのに心配を抱くことは無理もない。しかし同時にその必要も実はない。なぜなら、日本人の根底に流れるフェアで勇敢な気質の中身が、究極の不安である戦争とは相反するものだからだ。日本人の共同体感覚。共存共生の精神。列強が怖いのは日本人のこの精神。自由の国とかいう個人主義の集まりは、すなわちエゴの塊だ。比べて日本人は根本的に共同体民族。大戦の呪縛から覚醒したからと言って戦争など起こすことはない。控えめな静かな立ち位置から、決して前に出すぎることなく、世界のフェアで平和な精神をリードするに違いないと信じる。だから、まずは目の前の内政からしっかり向き合って、まず一歩を踏み出さねばならない。
最後に書き加えねばならないことがある。
これらは現役世代のためだけではない。次世代にまともな方向性をもった人類社会をつなぐために、現役世代が最低限しなければならない義務であり、同時に先祖への敬意だ。子を持たない、事情により持てない人もいる。だが例外ではない。言うまでもなく、現代を生きる全ての命は、先祖からつながれて受け継いだものだからだ。種とはなんだ。この世に生を授かった全ての命のことだと言えないか。であれば、意味のない、価値のない種などありえない。種こそ全体でひとつ。唯一の全体だ。誰もが個であり全体だということだ。日本民族は、世界で最も全体を理解している民族の一つだということだ。だからだよ。個人主義の塊が全体の覚醒を嫌がるのは。
かつてヨーロッパ地域で、強靭な個の力を持ったネアンデルタールが種を絶やし、社会性を持ったホモサピエンスが現代まで種をつないでいる。個は全体を理解できなければ個を超えない。全体を理解できれば個は個であり同時に全体だ。個人主義はホモサピエンスの種に逆らうことと同じ。それでどう種をつなごうというのか。
どんなに強靭でも、個では種全体は奪えない。最後のこの一文は、ごく一部の人種への皮肉であり警告だ。
一歩踏み出す勇気から全てがはじまる。共に進もうぞ!
2021.10.26 mteo.flat(松尾俊治)